
タイに来て1週間経った頃、昼間家にひとりぼっちになるのがつらく、早く何か外に出る用事をつくらなきゃ、とあせって日本語情報誌をあさってみた。そして、習い事ひとつ(これについては別記)、お仕事する人募集記事ひとつをゲットした。
それが「Voice mail」のイラストレーター募集。今ではタイのフリーペーパーの老舗のひとつとなっている「VM」も、当時は創刊間もない新鮮な日本語誌だった。まだまだ日本語の情報誌が少ない時代だったので、読者も多かった。とにかく編集部に電話して、「やります」宣言した。・・・ちなみに、私はイラストレーターの経験など皆無の、ただの「やりたがりの人」だった。
まず編集長(当時の)に会った。タイでこんな仕事してるんならきっと、髪もひげものばして不気味なサングラスかけてバンダナまいてる40歳くらいのおっさんだろうと思ってたら、おしゃれでハンサムな30歳前だった。それで「絶対この仕事やる」と思った。どちらかといえば記事を書きたかった私だったのに、記事は無理だ、イラストと他に4こままんがも描けと言う。まんがをあまり読まない私、もちろんまんがなど描いたこともない。けどせっかくタイで何かやるチャンスをここで逃すのはもったいない、と、描けもしないまんがを「描く」と答えてしまった。
そして誌面デビュー。まんがの方は、タイではもう「古事記」のような存在となった「タイ主婦が行く!」という4こま。イラストはともかく、まんがの方はひどい出来だった。しかしタイでは当時まんがを描く人がほかにいなかったので、比べる相手もいない、というのが幸いして、わりと読んでもらうことができた。なんせこの歳(当時25歳)になるまでまんがをあまり読んだことがなかったから、描くために必死にまんがを買って読み、描く練習をしながらの連載だった。
2年くらい続けたが、最後はいっしょにやってきた編集長が不条理な理由で解雇になり、他のスタッフとともに私も連座してやめた。ちょうど妊娠してしんどかったし。その編集長は、今バンコクの有名な焼肉屋さんと日本人クラブのマネージャーをして繁盛してるみたい。きっとそっちの才能もあったんだね。
「VM」に関わったおかげで、いろんな業界の人と知り合うことができ、駐在員家族があまり出会えない世界も垣間見た。バンコク中心部の日本人社会は、ディープな印象。そこに興味をおぼえて働きに来る日本人はたくさんいるけど、長続きする人はほんの一握り。タイ語をいかに習得するか、も大きい。(ただし、あまりしゃべれないのに店を繁盛させた人もいますが。)旅行で来たタイが大好きになり、単身仕事しに来て、精神的に自滅してタイをあとにした友人もたくさんいた。私は気楽な身だけど、そういう友人が日本へ帰る姿を見て「一人でやるのってしんどい」と実感した。でも、単身で仕事探してやってる人もけっこういる。ほんと、えらいと思う。
タイで知り合ったプロの絵描きの友人が、カルチャースクールのお絵かき教室の先生をやっていたが、体の不調でできなくなり、急きょ代役を頼まれた。彼女は「VM」の関係で知り合った友人で、プロだから絵はもちろん巧い。それに比べて私はひどい絵を描く。小さい子とはいえ、とても先生など務まりそうもない、と思ったけど、また「やりたがり」の気がでて、引き受けた。3歳から10歳までの子供たちが毎週テーマにそって思い思いに絵を描く教室。この仕事はすばらしかった。
結局、子供にあれこれ教える必要はいもの。うまく描けない子というのは、ただ、ちぢこまって人前で描けないだけで、回を重ねれば、少しずつ自信を持って描けるようになる。私の役目は、その自信を引き出す手伝いとして、ほめたりアドバイスをしたりするだけのことだった。子供はみなすごい潜在能力をもっている、と思った。でも、例えばほめてもらえなかったりして、その能力が発揮されるのが滞っている場合ってあるみたい。(だから、親は子供をほめましょう、っていうのは正しい。)教室に来るまで描けなくて、最初はいたずらや乱暴ばかりしてだまりこんでた子が、描く量が増えていくにつれ、笑顔を見せだしてやさしくなり、半年も経つと見違えるように明るくなる。それは実際間近で見ていて、初めて体験する感動だった。子供と接する仕事は、大変だけどそれ以上に感動的で有意義だったなあ。(この仕事の詳細は で書いてます)
臨月前になって帰国するまでやらせてもらった。つわりのとき、気分悪い私の目の前で、4歳の子が吐いたときには、においで倒れそうになった。
出産後1年で、やっと絵を描く仕事をやる気になった。そこに、「VM」当時いっしょにやってたスタッフが移籍してた日本語誌で描かせてくれるという話がきて、早速描いた。私が「VM」で4こまを描いて以来、新しい日本語誌が次々に創刊され、4こまを描く人もたくさん増えていた。はっきりいって、私よりみな絵が巧いので、内容で勝負!することにして、考えた題が「帰任の花道」。タイ駐在会社員が日本に帰って周囲から"うかない"ための対策法を盛り込んだまんが。しかし、担当者がやめ、6回で完結、その後「COCO」からの連絡は自然消滅。ということはクビなのでしょうか?いまだに疑問・・・。
お絵かき教室のあるスクールの校長先生から連絡もらって、今のお仕事を引き受けた。こうやって見ると、いろんな人と関わりを持ったこと、そしてその人たちのおかげで、私、こういう仕事が続けられたんだなあ。人に出会うって、大切なことですよね。「マンゴ」の編集部は、他誌の追随を許さない、まじめで高度な集団。このタイではまれなことだ。そこで、私もとても安心して、かつまじめに取り組んでいる。今回は純粋なまんがじゃなく、私の好きなものいろいろを紹介するコラム(題「0's Choohps(レイズ・チョープス)」タイ語で「好き」を「チョープ」という)。あまりぱっとしない内容だけど、「タイ主婦」以降、主婦モノのまんがも増えてしまったので、新鮮さを求めて描いているつもり。タイで「マンゴ」を見かけたら、ぜひ読んでください。内容が正確で、スタッフもすごく熱心に取り組んで質のいい記事書いてますから。
実はこの原稿を私は、新聞広告の裏に描いている。編集部は目をつぶってくれているが、まさか読んでる人はそんな原稿だとは思ってもいないだろうな。印刷が良いから。今までは市販の用紙に原稿描いてたけど、タイの製紙技術は悪いらしく、どうも墨や消しゴムののりが気に入らない。そこで、新聞にはさんである広告のうち、厚手で高価そうな紙の裏で試してみたら、これが意外に良かった。経費も浮くしね。「マンゴ」については、また詳しく書きますね。