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れいこ初めての海外生活

1995年、夫がタイ駐在となった。半年後私もタイに引っ越した。
タイ料理にヴェトナム料理が好き。第一外国語が中国語で、旅行は南国のビーチ。
大陸アジアに住むのは、私の長年の夢だった。
ところがやっぱり、見ると住むとじゃ大違いで・・・・


(見たい項目をクリックしてください。通して読む場合は、このまま下へ進んでください。)
1.バンコクで家探し
2.とうとうタイにお引越し
3.引越しそば?
4.昼間の孤独から抜け出したい
5.やもりとの関係
6.友達作り

★私とアヤさん・・・アヤさんを雇うかどうか?ってこと


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1.バンコクで家探し

 引越し前に、休暇をとってタイに行き、住む家を探した。家探しは夫まかせじゃいけないと思ってた。これは当たっていて、私の周りで、バンコクに来て1年以内に引越した夫婦のほとんどが、「夫が一人で家探し」したらしい。問題は、買い物に不便、台所が不便、汚い、虫が多い、子供の友達が少ないなど、妻の立場から気がつきそうなことが多い。

 丸1日かけて、日本語が話せるタイ人の不動産屋とあちこち回ったけど、夫と私の意見が全然合わず、帰る日までもめた。夫の言い分「大通りまで遠くても、水まわりがきれいなほうがいいから新築。」私の言い分「水まわりが少々汚くてもいいから、大通りまでの道が歩きやすいところ。」結局、家にいる時間が長い私の意見がとおった。でも、住み始めてから、この地では夫の意見の方も正しいことに気づいた。

 というのも、バンコクの場合、水まわりの汚なさは、故障や破損の多さの証明だったの。私の選んだマンションは、景色だけはスクムヴィット通りでいちばん、という物件だった。が、すべてが欧米人向けで、景色重視だが、すきまが多い雑な作り。虫や小動物は入り放題、風呂や電気の故障もしょっちゅうだった。大の虫嫌いの私だけど、自分で選んだとこだからかなり我慢して住んだ。3年ちょっと経った頃、オーナーが変わり、管理がずさんになってセキュリティーが悪くなった頃にとうとう引っ越した。

 バンコクでの家探しの条件は、日本での一般の条件プラス、次のような条件がいるんじゃないかな。

.札ュリティーの良し悪し・・・警備員の質が悪いために、内部犯罪で盗みに入られる日本人家庭が多い。

∪掌きや南向きの部屋は激暑・・・北向きの部屋って、暗そうだけど、タイでは涼しいからいいみたい。

1季に沈まない立地・・・雨季に外に出られなくなるマンション多数!雨季には1週間に1回しか外出できないとか、泣きたくなるような目にあった友人もいた。これは、毎年工事のせいで水が溜まる場所が多少変わるので、住んでる人に確認するのが一番。不動産屋にきくより、一般の人にきこう。

ぅーナーの人柄・・・人種差別と言われるとそうかもしれないけど、はっきりいって、インド系のオーナーのとこは、お金でよくもめているので要注意。タイ人オーナーでも、修理をしぶったり、シロアリ退治を怠ったり、困ったちゃんがいる。自分で一度顔を合わせてしゃべってみたほうがいいと思う。日本と違って、日常的に文句や要望をどんどん言わなくちゃならないから、言葉が通じるかどうかも重要。

ド屋の電気がどれくらい明るいか・・・けっこう間接照明が多くて、暗いことが多いので注意。



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2.とうとうタイにお引越し

 夫が先に赴任してたので、引越しの手続き、荷作りは一人でやった。日本国内引越しと違うのは、航空便と船便と2方法で荷物を出すことだ。航空便は早く着くけど、小さいものしか送れないので、炊飯器や調理道具、当面の生活に必要なものを送るのがいいかな。そして、あとは船便。ゆっくり着くけど、大型のものが送れる。

 「引越しの時送れないものってあるの?」とよく聞かれるが、うちがお世話になった横浜システムムーバーさんは、容量以内なら何でもOKしてくれた。ちなみに、日通で引越してきた友人は、「洗濯機だめ、電子ピアノだめ、炊飯器とかもタイで買ったほうがいい」とか言われて、何も持ってこなかったそうだ。そういう人が何人かいて、みんな激怒してた。ちょっと前の話だけどね。業者や担当者で、話がずいぶん違うようです。

 さて、荷物も出し、自分がタイへ行く日。実家を出て、行きがけの電車の中でえんえん泣いて、空港ではすでに気が晴れてた。会社の友達に笑顔で手をふり、機上から富士山を見て「さようなら、日本よ」と感動した。子供のころから、親の転勤とかで引越し慣れしてたので、新しい土地に行くのはけっこう好き。到着して、荷物のない部屋に寝るのも好き。場所はバンコクだけど、日本での引越しと変わりないじゃない、という気持ちで、これから住む部屋のベッドに横になった。枕元で、チョクチョク、という音。それは、私の頭の上20cmのところに張りついたやもりの鳴き声だった。「やっぱり、ここはエキゾチック、熱帯、タイランドなんだ・・・」と感動にひたりながら、チョクチョクという音を子守唄に眠りについた。



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3.引越しそば?

 引越し先のご近所に持ってく引越しそば。つまり、引越しのご挨拶ものって、日本だと、石鹸とかタオルとかだっけ?

 まだ日本にいる時、海外に引越したら「わかめとかこんぶ、またはインスタントコーヒーがよろこばれる」と聞いた私は、まるっきりそのまま買っていった。タイの家に着いて、いそいそと持っていったら…なんと、同じ12階に住む3件すべてが単身赴任のおじちゃん。しかも、そのうち一人はアメリカ人だった。とりあえず、アメリカ人のおじちゃんにコーヒーをあげて、あとの2人にわかめとこんぶをあげた。一人はもらってくれたが、もう一人のおじちゃんには断られた。あーあ、もちょっと考えればこんな状況くらい予測できたのに、ほんと、ばかでした。

 自分で住み始めてから、よくご挨拶にいろんなもんもらうようになって、何がいいかわかってきた。もちろん、子供の有無とか単身かどうかにもよるけど。

 まず、日本のインスタント食品。軽いものなら、ちょっと値の高いふりかけ、味噌汁の素、お茶漬けの素。重いものなら、おしるこの素、インスタントカレー、ちらし寿司の素など。他に、麦茶のパック、高級味付けのり(缶入り)とかいいかも。私がこの前友人にもらってうれしかったのは、箱入りの長崎ちゃんぽん2人前。「うわ〜、気がきいてるゥ」と感心してしまった。タイじゃまず売ってないもんね。・・・というわけで、王道はなんといっても食べもん。

 食べ物以外はあまり聞いたことがないけど、私の想像では、日本語の映画のビデオや雑誌が無難かな。タイの紀伊国屋書店でももちろん売ってるけど、高いからしょっちゅうは買えないもんね。



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4.昼間の孤独から抜け出したい

 タイについて2日、3日、と過ぎていくにつれ、片付けの用事が減ってくると、急に寂しくなりだした。そのマンションは、とにかく景色がいいもんだから、窓の外をついつい眺めてしまう。ミニジャングル風の林から、不思議なサルの声が聞こえ(これは後に鳥の声と判明)、路地を物売りが行き来するのどかな風景。心が落ち着くんだけど、夕方が近づくと、急激に寂しくなる。

それは、日の入りのスピードのせいだった。日本より赤道に近いせいか、「あっ、日が傾いたな〜」と思うと、まるでボールがまっさかさまに落下するみたいに、ストーン!と日が沈むのだ。あまりの速さにボーゼンとしてるうちに、あたりがすっかり暗くなり、「もう夜だ・・・」ってなっちゃう。だから、昼間のうちになんかやろう、と思うんだけど、まだ友達もいないし、タイ語も全く話せないから、近所に買い物に行くぐらいしかできない。日当たりが良くて妙に明るい部屋に一人きりでいると、なんだか余計に孤独を感じてしまう。と、どんどん心はマイナー思考になり、そうすると、心なごむはずの景色も、よそよそしい異国の風景に思えてきて、物売りの声が聞こえてくると、「いったい何を売ってるんだろう・・・もう!タイ語でなんて言ってるのか分からない!」(見に行きゃいいのに)・・・と、部屋にこもって鬱々とする系になってきた。

タイ語学校は、夫が翌月からの家庭教師に申し込んでいてくれたので、それまで待つしかなかった。とすれば、とりあえず、習い事か、仕事でもして、外にでなきゃ・・・と、一週間経ったある日の昼、私は突然、この孤独からの脱却を思い立った。そして、新聞広告からタイのカルチャースクールの広告を見つけ、タイの日本語情報誌から、求人広告を見つけた。2つとも即電話して、アポイントをとった。両方とも断られることなく、一気に私の「出かける用事」が二つもできたのだった。それだけで私の単純な心は軽くなり、「孤独な日々よ、さようなら〜〜」という感じになった。結局、その後もタイでの孤独感は付きまとうのだが、とりあえず、「毎日、昼間に一人きりで家にいなくちゃ」という究極の孤独からは開放されたのだった。



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5.やもりとの関係

 日本にいた時の私は、有名な「はちゅう類好き」ギャルだった。とくに、かえる、イグアナ、やもり系を心から愛していた。グッズもたくさん集めていたし、「大爬虫類展」が開催される、と聞けば、すぐ飛んでいった。エリマキトカゲの襟巻をなでて、目を閉じるとかげの顔を見て、「かわいい・・・」とうっとりしてしまうくらい、はちゅう類命だった。

 タイに住んだら、オオトカゲを家で放し飼いで飼おうとまじめに思っていた。そんな私だったから、引っ越したマンションの部屋に住みついていたやもりにも、最初から好感を持っていた。「やもり1号」「やもり2号」と名前をつけて、話しかけたりもした。前述したが、夜、寝ている頭のすぐ上で鳴いていても、「良い声・・・」くらいしか思わなかった。テニスコートでコーチがつかまえたオオトカゲ(体長:しっぽまで入れて70cmくらい)も、胸に抱いてなでなでしてあげた。そのあと、コーチ達がとかげをイサーン(タイ東北)料理屋に売ってしまったと聞いて、本気で悲しんだ。

 それが、半年経った頃から、私とやもりとの関係は変わってきた。駐在員の奥様たちで集まる婦人会で、「やもりが食器棚に入ってた」という人がいた。それを聞いたときは、「別にいいじゃん」と聞き流した私だったが、ある夜、洗ったあとのお皿を拭いていて、一番下のお皿をめくったら、やもりがくっついてた。「ひっっ!」と手を離した瞬間、ものすごいスピードでやもりが走り去った。やもりは、洗いかごの中に溜まった水を飲みに来ていたのだ。さすがの私も、皿を洗いなおした。この話を友人達にしたら、みんなに「やだ〜!」と言われた。同じことが数回続き、めんどうなのと友人の「やだ〜!」の反応とで、私の中にやもりへの嫌悪感が芽生え始めた。やもりは特に台所に集中して現れた。料理の本を置いといて、ページをめくると貼りついてたり、切った野菜の陰にいたり、炊飯器の下に隠れてたり。居間でも、電話をとろうとしたら受話器についてて、思わず握ってしまったり、食卓の上に落っこちてきたり、だんだん、私も我慢の限度に達してきた。そして、気がついたら、やもりを全速力で追いかけ、網でつかまえ、外に放り出す人になっていた。

 当時住んでいたマンションは、隙間の多いひどい作りの部屋だったので、やもりはいくらでも入ってきた。「もう引っ越そうかな」と思っていた矢先のこと。うちの赤んぼがまだ離乳食のころ、電子レンジにおかゆを入れて、1分セットしてスタートしたら、「ぱん!」と破裂音がした。「あれ?まだ30秒なのに・・・」と扉を開けると・・・中にはレンジでチンされたやもりがいた。私はぶち切れ、引越しを断行した。



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6.友達作り

まがりなりにも友達ができたのは、最初に行ったフルーツカービングの教室でだった。同じ頃にタイに来た人と、すでに4年ほど住んでてタイ語の読み書きもできる人の二人。この教室に入ったのは、友達作りのためだった。子持ちの人なら、幼稚園や学校を通じて文句なく友人ができそうだが、子供いない人は、まずタイ語学校やカルチャースクールで友達を作るのが一般的だ。これは、主に日本人の友達。

タイ人の友人は、ほかのシチュエーションで見つけることになる。私は、夫の会社の旅行に参加した時、アルバイトガイドとして来ていた大学生(当時)の女の子2人と最初に友達になった。2人とも日本語のクラスを選択していたし、私も当時25才で年も近く、話が合ったから、仲良くなれた。

 私の場合、日本語誌の仕事の関係から、駐在初期は独身の友人ばかり増えて、駐在員妻の友人はほとんどできなかった。独身の友達は皆昼間働いているので、夜いっしょに飲みに行くことになる。当時のバンコクはバーツ暴落前で治安も今より良く、夜中の2時ごろSoiナナ(アラブ人街)を私一人で歩いて帰っても平気だった。(タクシーに女一人で乗るほうが怖かった。)タイに住んで1年半くらいは、独身の友人との夜の付き合いが多くて、昼間の駐在員妻仲間の間では“ういて”いた感じでちょっと悩んだりもした。

でも、一人だけほんとに打ちとけあえる昼間の友人がいた。駐在4ヶ月くらいの時、会社の婦人会で、新しくタイに引っ越してきた人。それまでは、とにかく友達作ろう、と必死で、いろんな人と知り合うようがんばったっていたけど、ほんとに親しい付き合いにはならなかったから、彼女と会えて、すごくうれしかった。

 一度、子供いない人で仲良くなろう、と、「子なし会」という強烈な会を結成したら、30人くらい集まった。みんな、友達ほしいんだな〜って実感した。だから、身近に引っ越してきた人がいたら、なるべく誘ったりするようにしてる。とにかくきっかけになれば、と思って。これは唯一、私がやってる「いいこと」だと自分で思う。

 子供が生まれて、タイに戻ってきた時、今までの友達はいるけれど、子供が同じ月齢頃のママ友達はほとんどいなかった。普通はバンコクすくすく会の妊婦教室で知り合いが出来てるんだろうけど、私は行かなかったし。同じマンションに1歳半と2歳半の女の子がいて、夕方になるとマンションの下で遊んでたので、そこに私達もなるべく加わるようにした。もちろん見てるだけだったけど、ママさん達にはいろいろアドバイスしてもらえて良かった。

 でも、その後同じマンションに、私と同様、日本で出産を終えて戻ってきた1ヶ月違いの赤ちゃんのママがいて、その人と知り合いになってからは世界が広がった。彼女と離乳食のことを話し合ったり、デパートの遊び場に子供を連れていったり。そして、なによりも良かったのは、彼女がとても親しみやすい人だったこと。同じ月齢頃の子供のママ友達が、彼女を通してどんどん増えた。彼女は、一度しかあったことのないママやタイに来て間もないママに積極的に声をかけ、しょっちゅう大人数の友達を家に呼ぶ。ほんと、見習わなくっちゃと感心した。

最近は、駐在5年もたって、さすがに先に帰国する友達が増え、しかも同じくらいの年齢の子は幼稚園に行き始めた(バンコクでは2歳前後から幼稚園に通わせることが多い)ので、少々友達不足って感じかな。そこで、仲良しの友達とともに、「幼稚園に行かない2歳児の、外遊びのサークル」なるものを設立した。日本の「公園デビュー」が、暑いバンコクには存在しないので、外遊びでママ達が知り合う機会はないから、そういうのをやってみよう!と思ったわけです。成功するかどうかはわかんないけど、がんばってみるつもり。

「幼稚園に行かない2歳児の、外遊びのサークル」後記です・・・このサークルは、実際には「2歳児外遊びの会」として、友達のY子ちゃんとともに人集めをし、しばらく活動しました。Y子ちゃんは、まずゴルフ教室で一緒になり、子なし会第1期でも一緒、そして、第1子も同じ年に出産・・・ということで、私がバンコクで一番長くつきあった友達の一人です。
 まず、うちは上の子を早々にインターにいれてしまったのだけど、途中リタイア〜!ということで、当時メールで相談した横浜の幼稚園の園長先生の助言もあり、そのあと、3、4歳まで幼稚園に行かせるのはやめようかな?とおもっていたところ、Y子ちゃんも同じ考えだったので、早速二人で「仲間を増やして、外で遊ばせよう!」ということに決めました。
 そこで、フリーペーパーに、「2歳児外遊びの会」参加者募集の記事を出したのです。すると、いくつも応募の電話が!!意外と近所の人や知ってる人とかもいたりして、すぐ活動開始できました。
 天気がいい日はシリキット公園、悪い日はエンポリ。でも、だんだん誰かの家(またはその人のマンションの庭)に行ったりすることも増え・・・サークル活動というより、普通の遊び友達ってかんじになりました☆そのメンバーとは、クリスマス会や送別会とかもやったりして、楽しかったです。
 そんな感じで、無事に(?)幼稚園に行かずに3歳まで過ごしてしまいました。



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★私とアヤさん・・・アヤさんを雇うかどうか?ってこと★
この項目を書いているいまは、08年3月です。掲示板の過去ログ整理中に自分でコメントを書いたんだけど、こちらに参考までにいれておきます。

 当時もいまも、アヤ談議は続いていますね!年をおうごとに、アヤさんを雇う家庭もかなり減ってきているとはおもうけど。
 アヤさんを雇うか雇わないかというのは、会社の規定とかがない限り、もう、その人自身の都合や好みですね・・。

 でも、基本的に言えるのは、

1「必ず雇わなければ!」ということは全くない
2「なぜ自分が雇うのか?」を明確にしておくべき


1:アヤさんを雇うというのは、ずっと昔、スーパーがなくてすべて市場やコマもの屋さんで買い物をしなくちゃいけないとか、奥様会がタイシルク着用かつ当日の朝パーマ屋さんの予約をして自家用車で出席・・・みたいな時代は、必須!ということだったけど、
いまみたいに便利でタイ語学校もたくさんある時代には、必須事項ではなくなってきた、ということかな。
私の中では、1990年代始めが転換期だったかな?と勝手に決めています☆
あと、雇うとお金がかかりますよね!これって、雇わないでいると、その分節約になるんですよね〜。日本に帰ってきて、つくづく感じていることです。

2:雇う理由を自分の中でしっかりもっていないと、大げさに言えば、雇っているアヤさんにも悪いとおもうのです・・・。
雇う=雇用者・被雇用者の関係が発生し、雇う人は、その雇用に対して責任がでてくるということになるから・・。
アヤさんを雇うと、様々なトラブルが起こる確率も決して0とはいえなくなります。あくまで「確率」の問題だけどね・・・雇わないと起きないトラブルの可能性も抱え込むわけで、神経も余計に使うということになります。トラブルが起きたら、最終的な責任は全て雇用者にかかってくるし、
その時「なんでアヤさん雇ってるの?」って話になった時、自分で自分に納得するためにも・・・雇う理由をちゃんと認識しておくほうがいいとおもいます。

ちなみに。。。
万が一のトラブルが起こらないように、一番最初にしっかり面接するとか、契約書を交わすとか、半年ごとに話し合うとか・・も大切です。
「そんな大げさにしなくても、うちは大丈夫だったよ」というお宅が半分以上だとはおもうけど・・・。

 友達のうちのアヤさんトラブル、たくさん見てきましたが、大きなトラブル(強盗、脅しを受けたなど)があったおうちは、全部じゃないけど、たいてい雇用条件があやふやだったので、それを見た私は「雇用条件をしっかり決めておくのが大事かも!」って強く感じています。

 バン母スタッフの中でも、アヤさんを雇っていた人、雇っていなかった人、様々です。
管理人は、在タイ6年の半分は雇わず、半分は週数回・2,3時間雇っていました。前半は、アヤさんがいなくても十分生活でき、気が楽でした。後半は、信頼できてよいアヤさんとの日々が、今とてもいい思い出になっています。

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