「母乳が出ないのはお母さんの努力不足だ」とのたまう近所のおばはんや医者にむかつくって話。私が思うに、たしかにおばはんたちの言も一理ある。うちの場合、最初はミルクも飲んでた娘が、途中から母乳しか受け付けなくなったとき、突然、死にものぐるいで母乳を出そうという気になったら、前より出たから。それでも不足が解決するまでは出なかった。気力の問題とは言えませんよ!
母乳は「気力で出す」つもりになりゃ、多少は出がよくなるけど、やはり体質で、出ない人は出ないんだろうと思います。胸の大きい人は、乳房の脂肪が乳腺を圧迫してて母乳が出にくいという説あり。たしかに、私の周りで「母乳が全然出なかった」人は、全員胸が大きい。
母乳皆無の人だってたくさんいるし、ミルクの質も向上してるから、必ずしも母乳育児にこだわることもないのよね。ただ、うちの娘みたいに、母乳しか受け付けなくて行き詰まる場合は、母乳不足は深刻!
そこで、今、私と同じように母乳不足に悩む人へ、私がとった行動を次に紹介します。
娘が新生児の時、母乳・ミルク混合でやってたのに、ある日ミルクを全然飲まなくなってしまった(育児のページ参照)。その時、本も人も「無理やり断乳して空腹にしてやれば、絶対ミルクを飲む」と断言してた。でも、実際はそうか?そんな簡単にミルク飲むようになるなら、みんな悩まんだろう!
その後、いろんな母たちと知り合って、ミルク拒否に悩んだ人が案外多いのにびっくり。「どんなに根気強く、何を試しても、結局1滴も飲まなかった」「まる1日断乳して飲まず食わずにしても、声が出なくなるまで泣いてミルクは飲まなかった」「1ヶ月断乳に挑戦したが、どうしてもミルクを飲むようにならず、職場復帰を断念」・・・こんな赤んぼ、ざらですよ。自分が悩んでる時は、うちだけが特別な子だと思ってたのにね。
私なりの結論・・・がんこにミルクを飲まない子は、しかたがない!あきらめていい!・・・もちろん、母体が肝炎とか何かの病気でどうしても母乳をあげられない人は別ですが。小食だと、摂取量不足でやせてたり、小さいままで心配にもなるでしょう。でも、いつかはどうにか、なりそうよ。それが離乳食が始まってからか、幼児食の頃か、思春期かはわからない。私なんか、小学校4年になるまで、ミルクも離乳食も給食も何も食べない子だったけど、今じゃ人よりかなり大きいです。
でも、おなかがすいて泣いている赤んぼの姿を見て、何もしないわけにはいかない。うちの娘の断固としたミルク拒否。そしてどうしても母乳が足りない私のセカンドチョイスは、“摂取量不足を補うために、離乳食を2,3ヶ月から開始する”“ミルクに甘みのある果汁やジュースを混ぜる”という方法。助産婦さんには「やめた方がいい」って言われた。アトピーの問題とかもあるんだって。ただしうちの場合は結局何の弊害もなく、成功したけどね。だから、この方法で大丈夫な子もいるわけです!
娘が生後4ヶ月でタイに戻ってからは、のどが渇くのか、風呂上がり、寝る前にミルク100ccに赤んぼジュース30cc混ぜたやつを一気飲みするようになった。そんなにミルクを飲んだことがなかったので、うれしくて気がゆるんだのと、めんどくさいのとで、以来1日1回しかミルクを作らなくなってしまった。離乳食が進み始めたら、それもフェイドアウト。今考えてもいいかげんなやり方ですが、同じ様な方法をとった友人もいました!やっぱり。
乳腺炎、大きいのには5度かかっている。軽症は数十回。日本でかかった時は、病院でブドウ糖の点滴を受け、抗生物質を服用してすぐ治った。タイの病院では治療はなく、診察のあと抗生物質をもらって飲んで、だいたい2日以内に完治していた。高熱が出たり、ひどく痛む時はやっぱ、病院に行く方が早く治っていいと思うな。
新生児期の母乳不足時代にかかった時はつらかった。なんせ、乳腺炎の存在もしらなかったから、痛みがかなりひどくなるまで我慢して授乳してた。最後には少し化膿して母乳も出なくなった。そこで、搾乳したり、マッサージしてみたり・・・と、これが余計いけなくって超母乳不足の危機。もう少し遅かったら、メスで切開されたかも。
授乳中の人は、おっぱいが痛いなと思ったら、次の日の様子で産婦人科に行くかどうか決めよう。翌日、触らなくても痛みを感じるなら、病院行きをすすめます。2日後だと後悔するかも。乳腺炎は症状が突然どっと悪化することが多いと思う。「高熱」は、必ずしも伴わないので、判断の基準全てではない。そして何度か経験すると、「これは病院行くほどじゃないな」とか判るようになるんだ。
タイの産婦人科に乳腺炎でかかった時の話。娘も診察台まで連れていくが、ちょうど1才位の時、診察台(なぜか内診台でした)に乗った私にとりすがった娘は、看護婦さんの手で私の腹の上へ乗せられた。そして、触診治療されるおっぱいを間近に見て、けたたましく泣き叫び始めた。なだめる私の大声と娘の叫び声。終わって診察室を出たら、臨月の妊婦(タイ人)が青ざめた顔で(いったい何の治療!?)って感じで固まってた。
出産直後に、先輩(独身)が、内田春菊の『私達は繁殖している』という本をくれた。いわゆる育児系のまんがです。この中で、主人公の母親は、ぐずる子供に電車の中で授乳する。おどろいた周りの人は、席を離れたりもする・・・・育児知識0%の私は、ふうん、育児ってこういうもんなんだ、と感心した。「そっか、子育て中の乳ってまる出ししても恥ずかしくないよな〜」と変に(というか、超勘違い?)刷り込まれてしまった。
結局、母乳不足の私は好む好まないに関わらず、いつでも、どこでも授乳の道を進む。だいぶあとになって、日本じゃベンチやレストランでも授乳は恥ずかしいと思っている人(当の母親、周囲の人をも含む)が多いと知った。そういえば、タイでも、夫の会社の婦人会の席で食べながら授乳していたら、ある奥さん(子供なし)が家で自分のご主人に、「れいこさん、婦人会で食べながら授乳してたのよ・・・」って告げ口(?)。うちのだんなによれば、会社で、そのご主人は奥さんから聞いた話を、すごい話だというように語っていたらしい。へええ、そんな変なことだったのか!(反省)
日本ではさすがに電車の中で授乳するのは気がひけたけど、何度もやった。混んでる電車で椅子に座れず、しかも急行で降りることもできない時に子供がぐずったので、その場でしゃがんで授乳した。きっと、あとで噂になっていたと思う。池袋から東武東上線で成増まで、みんなし〜んとしながら(固まっていたとも言う)も、無視してくれたのが救い。電車の乗客のみなさん、ごめんなさい。座席に座って授乳した時、前に座っていたサラリーマンは、びっくりして目がくぎ付けになってた。ちょっとうれしそうだった?・・・そしたら少しでも恩返しになったかしら。いえいえ、ご迷惑おかけしました。
今思えば、確かにどこでも授乳するのは周りの人に配慮が足りないと言えることもある。ただ、赤んぼが大泣きするのを口であやすよりは、えいっ、と乳放り出したほうがよかったかも?実際、乳飲み子がいる時は必死だった。夫が言うには、タイで外で授乳してるのはやっぱり欧米人だけだそうだ。タイ人も外での授乳は「恥ずかしいこと」と思っているし、見る人もひいてしまう。産婦人科の待合室で授乳してたら、看護婦さんによって、空き部屋に誘導された。
タイで、初心者ママからよく質問を受ける。「車の中で授乳してもいいのかしら?」私は一時期、バンコクのママ達の間で、「タクシーの前座席で授乳する人」として有名になった。前座席はすすめないが、左後部座席ならそんなにドライバーから見えないから、やむをえない時はここで、と言ってる。実は、私のように外で授乳するママを増やしたいれいこなのです・・・! 悪いことじゃないのに、こっそりトイレで授乳するのはいやだから。布とかで隠してやればすむような気がするのです。
育児本には、1歳で断乳する・あるいは1歳半までには断乳するべきだ、と書いてある。マニュアル好きの私としては、これを完全に無視することはできず、だいぶ悩んでしまった。周りはどんどん断乳し、「夜中続けて寝るようになった」とか「離乳食をよく食べるようになった」とかうらやましいことを言う。夜中3、4時間おきに授乳、食細の娘を持つ身にはこたえた。
第一、夜中3、4時間おきに授乳するのって、1歳くらいまでかと思ってた。実際うちの場合、2歳近くになっても、朝までに2回は授乳していた。6時間とかいうかたまりで寝たことは出産以来一度もなかった。昼もしょっちゅう乳をやるので、ワンピースは着られない。
それでも断乳しなかったのは、まず「挫折」があったから。乳にこわい絵を書いたら簡単に断乳できるというのでやってみたら、私の絵は娘にすごくウケてしまい、やる気をそがれた。それに「娘のしぶとい性格」。例えば、モノを取られても執着がないので泣かないが、自分がゆずれないことにはしぶとく怒り続ける。(風呂に入りたくないのに入れられた時とか。)普段あまり泣かない子だけに、いったん泣くとエンドレスなのが怖くて、断乳を断念。
また、母乳には捨て去りがたい利点もあった。飛行機の離着陸の時は母乳が便利。母乳さえあれば、毎日の寝ぐずりは皆無(これは個人差あるけど)。長電話時も、乳さえ出しとけば何時間でも電話させてくれる・・・断乳すれば、これらの特典はすべて消え去るのでは・・・?と思うと、やはり断乳を決断することはできなかった。
そして、自分で育児本や噂やインターネットを吟味してさんざん考えたあげくに、「断乳より卒乳のほうが自然で無理がないから断乳はしない」と決断した。自然といっても、動物はちゃんと断乳してるらしいから、「動物らしく」っていう意味じゃないんだ。情緒が発達してる動物である人間だからこそ、心ゆくまで乳を飲ませたいと思ったのです。母親の自己満足的な部分として、無理な断乳より、「卒乳まで頑張って乳をあげる」ことが子供にしてあげられる「母親らしいこと」って感じがしたし。
あと、心弱い私の支えになったのが、いっしょに母乳を続ける友人2人の存在。3人とも同じ月齢の子供がいて、いまいち断乳にも踏み切れず、母乳もなかなか便利だし・・・と同じ考え方。顔を合わすたびに「まだ母乳あげてるよね!?」と確認しつつ、共に非・断乳道を突き進んでいったのだった。
娘が1歳半過ぎた頃。いわゆる育児本では「もう断乳の最終リミット」とされる月齢を迎えて、また私は断乳で悩んでいた。その時、上で書いた、母乳を続ける友人のうちの一人が言った。「うちの妹の娘、ずーっと母乳飲み続けてたのに、2歳2ヶ月のある日、突然やめてそれっきり飲まなくなったんだって。だから、2歳2ヶ月に期待しよう!」その言葉に、私は大いに励まされた。2歳の誕生日が過ぎても、娘が乳をくわえるのは1日7、8回にも及んだ。
9月、妊娠してつわりが始まろうとしていた私の体が変わってきた。乳首がぴりぴりと痛い。一人目の妊娠時はなかったことだ。さすがの私も、初期つわりと乳首の痛さに気がたって、ある夜娘に言ってみた。「ごめん、ちゅっちゅ(乳)今ちょっと病気なの。」まさかこんなんで娘が引き下がるとは思わなかったが、娘は「病気なの・・・?」とつぶやいて、あっさり吸うのをあきらめた。次の日の朝もう一度同じことを繰り返した。別に泣きもしない。その次は娘のほうから「ちゅっちゅ病気だね。」と言い出した。その次も、その次も。
それっきり、母乳の日々はいきなり終わりを告げた。あまりのあっけなさに、私は半日さびしくて涙した。娘は「ちゅっちゅ、病気だから飲めないね。」と言いつつも、どんどん乳から離れていった。3日後、ちゅっちゅの“ちゅ”の字も出なくなった。当日まで、1日7、8回は飲んでいたのに。気がつけば、娘、2歳2ヶ月。まさに友人が言った数字が大当たりだった。
卒乳後、一時的にあめを食べる量が多少増えたが、夜泣きも寝ぐずりも一切なし。そういえば、牛乳をよく飲むようになった。卒乳から2ヶ月経つと、夢を見たとき以外は完全に一晩中続けて眠ってくれるように。2年ぶりに“7時間睡眠”を堪能。
「2歳過ぎまで母乳飲んでると、母乳へ執着ができて、やめられない」とか「夜泣きが直らない」とかいうけど、必ずしもそうじゃないことがこれで証明されたでしょう。だから、今断乳するかどうか悩んでて、できれば断乳したくないママ達は、あまり悲観的に考えないでほしいのです。私もさんざん悩んだけど、こんな良い終わり方が出来た。みんな必ずしもうまくいくとは限らないでしょうが、必ずしも失敗するとも限らないんだから。(ちなみに、下の子は4才4ヶ月で卒乳!項目10を見てね↓)
「日本母乳の会」「大阪母乳の会」という団体があって、「みんな卒乳まで頑張って育てよう!」みたいなことを言ってるのですが、そこの関連のホームページは、断乳しないママにとっては心強い内容なのだ。かなり偏ってる感じだけど。そのページによれば「母乳で卒乳まで育った子の方が、3〜4歳からは独立心が強くなるというデータが出ている」そうです。本当かしら?
ところで、私には弟がいる。私達2人は好対照。私は完全ミルク育ちで母乳嫌い。弟は3歳の卒乳まで母乳育ち。2人のうち、自立心が強いのは弟の方。でも、それは“今”の話。幼稚園の頃を比べると、私の方が断然自立心旺盛だった。一つ言えるならば、卒乳まで十分甘えさせてもらった弟は、甘えたことがある意味自信になってて、おおらかな性格になっていると思う。卒乳まで母乳を飲むことで、自立心というより、充足感から得た心の余裕を持つようになる、ということはあり得るかもしれない。
興味深い話題を一つ。秀吉か信長は、就学年齢になっても母乳を飲んでいたそうだ(内田春菊『私達は繁殖している』による)。って、昔の人はみんな卒乳派だったんでしょうけどね。
ある資料によると、子供の背が高くなるかどうかについては、明らかに親の遺伝が認められるのが25%、あとはほとんど出生後の生活環境だという。食べ物、両親の不仲、少年期の長さ、etc.。
母乳が背の伸びに関わるかどうか、また私の実家を例にとってみます。ミルク育ちの私、母乳育ちの弟、そして、戦中生まれで母乳もミルクもなく、お米の重湯(お米をぐつぐつ煮た汁)だけで育てられた父。私は身長171cm。弟は182cm。父は177cm。母乳育ちの弟が一番高いわけですが、これは男の子だからであって、どう見たってただの遺伝です。私だって十分高いもん。父も、戦中の人にしては大きい。重湯しか飲まない赤んぼも、177cmにはなれるんです。これは心強い話だ!
私ら3人に、他に要因はあるでしょうか?わりとおっとり育てられた私達姉弟は、比較的少年(少女)期が長く、思春期の訪れは中学入学時。これが背を伸ばす一因でもあるらしい。例えば、早く自立することを無理に求められたり、アダルトな環境に早くから接していたら、精神的に早熟し、それが肉体的な早熟を早めて背を止めてしまうということ。女性の場合、小学3年生くらいで初潮を迎える人は、必ず小学生6年くらいで背が伸びなくなるよね。ちなみに、父も4人兄弟の末っ子で、かわいがって育てられているので、少年期が長そう。
また、私も弟も、背が劇的に伸びたのが中学の頃なのですが、その時期に私も弟も背が伸びそうなスポーツをかなりやってた。しかし、父は柔道やバレーボールくらいで、そんなにやってなかったみたい。栄養に関しては、私は小学校3年までものすごい偏食でやせっぽっち、でも弟は小学校の時は少々肥満気味なほど食べてた。中学時は、二人ともかなりよく食べてた。私も、人の給食2,3人分もらうほど。重湯育ちの父も、小中学校からはバランス良く食べたようです。幼年期によく食べるかどうかと、背の伸びはそこまで比例関係なさそうに思える。
ところで、下の子の母乳育児は、実はあまり記憶がありません。なぜかというと、仕事との両立があまりに忙しくて、なにも考えずにがむしゃらに突っ走ったからです!
母乳は上の子の時に比べるとよく出ていました。でも、ミルクをはじめると、きっとまた飲むとか飲まないとか悩みそう・・と思い、そんなめんどうを考えずにすむよう、ミルクを買わない!飲ませない!ということに決めました。 そこで、また早めの離乳食&完全母乳育児を続けました。
今度は、日本での、しかも完全シングルマザーでの育児になります。そこで、とにかく働いて生活費をかせがないといけなかったので、下の子の産後4ヶ月で就職活動をはじめ、すぐ就職しました。まだ半年もたっていないのに、無理やり仕事をはじめてしまい、母乳育児と両立させようとしたため、仕事先ではぎんぎんに胸がはって、いつも地獄の痛みを感じていました!! 職場の上司は、当時独身の男性で、周りも男性多し。だれも理解してくれないうえ、子供の「子」の字を出すといやがられる環境でした!(その後、この上司は、結婚して子供ができてから、正反対に理解あるヤツに変貌したが、私はこの時のことをいまだに恨んでいるので、ヤツの「親ばか話」はいつも無視している。)
仕事が終わらない時は、あまりの苦しみに、トイレで母乳をしぼったり、服をぬいで、胸にタオルを仕込んだり。 仕事をはじめたら、断乳というのが一般的で、私もずっとそう思っていたけど、いつ断乳しよう?と上の子の時に悩んだのがいやだだったので、「この子の授乳は、流れのまま!行きつくところまでいってやる!!」と卒乳を目指すことにしたのです。かなり無理やりですね!
しかし、下の子は、上の子の卒乳年齢・2才2ヶ月を過ぎても全く卒乳の気配はありませんでした。3才のお誕生日も過ぎ、もうすぐ幼稚園に入るというのに!です。
長い授乳のせいで、私の生理はかなり長期間とまったままでした。これもかなり心配してしまいました。下の子の妊娠前は、1回かるく生理がきただけだったので、上の子の妊娠発覚時の1997年秋頃からずっととまったままでした。結局、下の子が3才9ヶ月・・2005年1月に生理が再開しました。ほぼ7年半ぶりにちゃんと生理がはじまったことになります!
生理が再開した=もうあまり乳が出ていないということだし、そろそろいいんじゃないかと思って、下の子に「幼稚園に入る日までに、やめようね」と言い聞かせました。・・・けど、幼稚園が始まっても、下の子はやめられませんでした。そこで次は、「4才のお誕生日までにやめようね!」・・・でも、これもできませんでした。子供もやめられなかったけど、私も強硬手段にはでませんでした。 その次は、上の子の誕生日までに!ってことで設定してみたのですが、当日になると「やだ〜。」・・・(疲) 周囲も、「すごい!年少さんなのに、まだ飲んでるの!?」「4月生まれでしょ?もう4才なのに・・・」「そこまで飲ませたら尊敬するわ」と呆れ顔・・・。
結局、下の子の卒乳は、上の子の誕生日の2ヶ月後、下の子4才4ヶ月の時になりました。私の周りでは、この記録を破ったのは一人だけです♪(その子は4才7ヶ月まで飲ませたそうです。) 下の子の時は、卒乳ブームだったこともあり、断乳派と卒乳派がいました。
後日談・・・。あと数日で下の子の7才の誕生日がくる2008年春現在・・・。もちろん、授乳はもうやっていませんが、まだ二人とも、すきがあったら、胸に「ばっふん!!」と顔をくっつけてきます。とくに下の子は、上の子とけんかした後や、暇になった時、眠くなってきた時など、いまでも一日数回、必ずやっています。